2012年07月07日
七夕に寄せて
七夕の今日、青空が広がっています。昨日までの雨が嘘のよう


このお天気が夜まで続いて、天の川での年に一度の逢瀬が叶いますように。。。





さて、七夕にちなんで新しい小惑星のお話をしたいと思います。
今年の2月頃だったでしょうか、新聞に掲載されていたのでご存知の方もあるかと思いますが、埼玉県の佐藤直人さんが発見された三つの小惑星に「唐津」「佐用姫」「武寧王」という、唐津にちなんだ名前が命名されました。
佐藤さんと、唐津市のNPO法人理事長 富田満博さんの友情から生まれた素敵な企画でした

「佐用姫」といえば、唐津のみならず伊万里にも伝わる佐用姫伝説のヒロインです。
伊万里讃歌の第三章「佐用姫猿笛」でも「泣いても泣いても泣ききれぬ 千年経ってもまだ涙」と歌われる悲恋の物語。
もう歌ってるだけで泣けてきちゃう大好きな合唱曲です(;_;)

唐津市の観光協会のサイトではこんなふうに紹介されてました。
佐用姫の恋人、大伴狭手彦は、537年(宣化天皇二年)朝廷の命を受け、隣国の新羅に侵略されていた朝鮮半島 の任那、百済を救援するために出兵したのですが、これが二人の永遠の別れとなりました。
この時の百済の王は26代の聖王(日本では聖明王と呼ばれる)だったと思われますが、この前王(25代)が、もう一つの小惑星の名となった「武寧王」なのです。
なぜ、この武寧王が唐津にちなんだ名となったか?
それは、この王は唐津市加唐島で生まれたとされているからです。(日本書紀)
韓国の公州市にある武寧王陵で見つかった墓誌石の銘文とも誕生年が一致したため、加唐島誕生説は有力となっています。
加唐島のオビヤ浦の洞窟で産湯をつかったという伝説も残っているそうです。
武寧王がなぜ日本で生まれたのか?
そのお話もまた、ロマンティックなんですよ~。
書けば長くなりますので、また改めて書きますね。
さて、その「佐用姫」と「武寧王」の歌があるのです。
これは皆さん殆どご存知ないと思われますけど

唐津市の林之上公麿さんが作詞され、福岡市の作曲家(演奏家でもある)古川治生先生が曲をつけられたものです。
ご縁があり、私が歌わせていただくことになりました。
最初に聴いた時は、「演歌だ。。。私には無理だわ。。。(;_;)」と諦めかけたのですが、何回も歌ってたら、どんどん好きになりました。
それに、佐用姫や武寧王のドラマがすごくロマンティック~
で、今ハマってる韓国歴史ドラマにもつながるところもあり、もう離れられなくなっちゃいました(^o^;

6月に加唐島で開催される「武寧王生誕祭」は、日韓交流行事として韓国の公州市からの来賓もおいでになり、録音した歌「松浦佐用姫物語」と「ニリムセマ」も何度も流して下さったそうです。
私も行きたかったけど、他のコンサートと重なってしまい、とっても残念でした

来年は是非伺わせて下さい!
※唐津市フォトライブラリーより画像をお借りしました。

愛しい狭手彦を追っても追っても二度と逢うことが出来なかった佐用姫さん。
織姫と彦星のように、今夜 天の川で 狭手彦さんと再会できますように。。。
