2008年09月28日
言葉を惜しまない
今朝の記事の続き・・・という訳ではないのですが。
先生方にお話した中に、これも矢崎先生の受け売りですが、こんな笑い話を入れました。
といっても、本当は笑うような事ではなくて、大人(教師)が気をつけなければならない事としてのお話なんですけど。
私達は、目上の人と話す時は、言葉を惜しみませんよね。
お礼やお詫びは言葉を尽くして言うし、物事を説明するにも、相手にきちんと伝わるようにお話するでしょう。
ところが、年下の人に対しては、ちょっと言葉を惜しみがちになる。
言葉を省いてしまう事があるんですよね。
その一つの事例に笑ってしまったのです。
ある幼稚園の園長先生が、子ども達を前に「牛若丸」のお話をされました。
子ども達は熱心に聞いてくれましたが、その中でも A君は、目をキラキラと輝かせて、それは楽しそうに一生懸命聞いてくれました。
園長先生は、それがとっても嬉しくて、お迎えに来られたお母さんに話されました。
「A君は、私の話を 目をキラキラと輝かせて 一生懸命聞いてくれたのですよ。とっても良いお子さんですね」と。
お母さんは、我が子を誉めていただいたので、とても嬉しかったのでした。
それで、A君に「園長先生のお話は そんなに楽しかったの?」と聞かれたのでした。
A君は、「うん!とっても楽しかったよ!」と答えました。
そして、続いて こう言ったのです。
「でもね、お母さん。牛若丸って どんな牛なの?」って(笑)
園長先生は、「牛若丸という若者がいました」と「牛若丸」が「若者」である事を、お話の中で省いてしまわれたのです。
だって、園長先生は、ずっと昔から 牛若丸が若者である事なんて知っていたからです。
でも、子ども達は そんな事知りません。
なので、A君は牛若丸という名前の牛だと思ってしまったのです。
牛なのに、橋の欄干を飛び回り、弁慶とたたかった・・・なんてすごい牛なんだろう!
と、目をキラキラ輝かせて 園長先生の話を聞いたのでした。
という事は、園長先生とA君の感動は、全く違うところにあったのです。
という事例をお話したのです。
すると、昨日参加されてた先生が「実は つい最近、まったく同じ事を経験しました」と話されました。
先生の甥っ子さんが、「めだかの学校」の歌を元気よく歌ってたので、「上手に歌ってるね~」と誉めてあげたそうです。
そうしたら、その子のお母さんが「でもね、この子は めだかの事を ずっと鳥だと思ってたんだよ!」と呆れたように話されたそうです。
お母さんは驚いて、幼稚園の先生に聞かれたそうです。「めだかの学校の歌を教える時に、めだかがどんなものかを教えられましたか?」と。
そうしましたら、幼稚園の先生は「当然知っているものだと思って 教えてません」と答えられたそうです。
子どもこそ、知らない事だらけの中で生きているのです。
「当然知っているだろう」「分かっているはず」と 大人の考えで決めつけるのは 大人のエゴですよね。
「何も知らない」事を前提に接しなければならない事を 私も学びました。
以前書いたかもしれませんが、愛しの井上さんが、「人にものを教える仕事をする人は、習い事をしなさい。そうすれば『わからない人の気持ち』が分かりますから」とおっしゃいました。
そうすれば、「どうしてこんな事がわからないの?」なんていう心ない言葉は出てきませんよ・・・と。
その言葉は、30年以上経った今も、しっかりと心の中に残っています。
先日、夜明けダム(?)の近くのお豆腐やさんで食べた「豆腐まんじゅう」がとっても美味しかったので。

先生方にお話した中に、これも矢崎先生の受け売りですが、こんな笑い話を入れました。
といっても、本当は笑うような事ではなくて、大人(教師)が気をつけなければならない事としてのお話なんですけど。
私達は、目上の人と話す時は、言葉を惜しみませんよね。
お礼やお詫びは言葉を尽くして言うし、物事を説明するにも、相手にきちんと伝わるようにお話するでしょう。
ところが、年下の人に対しては、ちょっと言葉を惜しみがちになる。
言葉を省いてしまう事があるんですよね。
その一つの事例に笑ってしまったのです。
ある幼稚園の園長先生が、子ども達を前に「牛若丸」のお話をされました。
子ども達は熱心に聞いてくれましたが、その中でも A君は、目をキラキラと輝かせて、それは楽しそうに一生懸命聞いてくれました。
園長先生は、それがとっても嬉しくて、お迎えに来られたお母さんに話されました。
「A君は、私の話を 目をキラキラと輝かせて 一生懸命聞いてくれたのですよ。とっても良いお子さんですね」と。
お母さんは、我が子を誉めていただいたので、とても嬉しかったのでした。
それで、A君に「園長先生のお話は そんなに楽しかったの?」と聞かれたのでした。
A君は、「うん!とっても楽しかったよ!」と答えました。
そして、続いて こう言ったのです。
「でもね、お母さん。牛若丸って どんな牛なの?」って(笑)
園長先生は、「牛若丸という若者がいました」と「牛若丸」が「若者」である事を、お話の中で省いてしまわれたのです。
だって、園長先生は、ずっと昔から 牛若丸が若者である事なんて知っていたからです。
でも、子ども達は そんな事知りません。
なので、A君は牛若丸という名前の牛だと思ってしまったのです。
牛なのに、橋の欄干を飛び回り、弁慶とたたかった・・・なんてすごい牛なんだろう!
と、目をキラキラ輝かせて 園長先生の話を聞いたのでした。
という事は、園長先生とA君の感動は、全く違うところにあったのです。
という事例をお話したのです。
すると、昨日参加されてた先生が「実は つい最近、まったく同じ事を経験しました」と話されました。
先生の甥っ子さんが、「めだかの学校」の歌を元気よく歌ってたので、「上手に歌ってるね~」と誉めてあげたそうです。
そうしたら、その子のお母さんが「でもね、この子は めだかの事を ずっと鳥だと思ってたんだよ!」と呆れたように話されたそうです。
お母さんは驚いて、幼稚園の先生に聞かれたそうです。「めだかの学校の歌を教える時に、めだかがどんなものかを教えられましたか?」と。
そうしましたら、幼稚園の先生は「当然知っているものだと思って 教えてません」と答えられたそうです。
子どもこそ、知らない事だらけの中で生きているのです。
「当然知っているだろう」「分かっているはず」と 大人の考えで決めつけるのは 大人のエゴですよね。
「何も知らない」事を前提に接しなければならない事を 私も学びました。
以前書いたかもしれませんが、愛しの井上さんが、「人にものを教える仕事をする人は、習い事をしなさい。そうすれば『わからない人の気持ち』が分かりますから」とおっしゃいました。
そうすれば、「どうしてこんな事がわからないの?」なんていう心ない言葉は出てきませんよ・・・と。
その言葉は、30年以上経った今も、しっかりと心の中に残っています。
先日、夜明けダム(?)の近くのお豆腐やさんで食べた「豆腐まんじゅう」がとっても美味しかったので。
欄干を飛び回る牛、
そして、鳥なのに川にある学校・・・
すごいです。
子供の発想!!
逆にこの柔軟性を失わないで欲しいような・・・・
私も巨人の星の歌を
「重い~い、コンダ~ラ♪」ってかなり長いこと
勘違いしてました。
さらに、虫の声?を
「青も白い虫の声」って思ってましたよ~(笑)
あはははは!笑いすぎて涙が出ました。
重いコンダラ・・・コンダラって・・・あはははは。
「青も白い虫の声」、これはなるほどと思いましたね。
同じように勘違いしてた子が沢山居そうですね~。
でも、いい話を聞きました。
気をつけなければ…。
ありがとうございました。
うちで使わせていただきまーす。
みんな、同じような勘違いをしてるんですね~。
コンダーラはあの引っ張ってたローラーなのね(笑)
「虫の声」は、色々なバージョンがあるんですね~。面白い。
和賀心様♪
話題提供できて嬉しいです~♪ありがとうございます。