2008年07月16日
ようなを取って・・・
ここがみすゞさんの育った金子文英堂です。
この奥に 金子みすゞ記念館があります。

みすゞさんの家はもともと書店だったわけではなく、大黒柱であったお父様が急逝された後、下関の大書店「上山文英堂」の後押しを受けて始めた書店でした。
上山文英堂は、みすゞさんのお母様ミチさんの妹フジさんの嫁ぎ先であったからです。
二階にあがるとみすゞさんのお部屋があります。
以前伺ったときは自由に入れましたので、この机に座って写真撮ってみたりしたのですが、今回は立ち入り禁止になっていました。みすゞさんファンが増えて、多くの方が来場されるようになったからでしょうね。

金子文英堂は、大津郡ではただ一つの書店でしたので、文具なども扱い、みすゞさんも店番など本に囲まれながらのお手伝いをしていたようです。
物静かで誰にでもわけへだてなく優しいお母様は、お父様亡きあと、三人のお子様を愛情豊かに育てられたそうです。
みすゞさんはきっとお母様の影響を受けているのだなと思わせるエピソードが書かれていました。
日頃からお母様はこんなことを言われていたそうです。
ひとつのことを見たら、多くのことを考えなさい。雲を見るでしょう。そうしたら、白い雲、綿のような雲、「ような」を取って、綿雲、スワン雲・・・というふうにね。
なんて、温かくて情感豊かなお母様なのでしょうね
みすゞさんの原点がここにあるような気がしませんか

↑ 本日も愛の1クリックお願いいたしま~す。
この奥に 金子みすゞ記念館があります。

みすゞさんの家はもともと書店だったわけではなく、大黒柱であったお父様が急逝された後、下関の大書店「上山文英堂」の後押しを受けて始めた書店でした。
上山文英堂は、みすゞさんのお母様ミチさんの妹フジさんの嫁ぎ先であったからです。
二階にあがるとみすゞさんのお部屋があります。
以前伺ったときは自由に入れましたので、この机に座って写真撮ってみたりしたのですが、今回は立ち入り禁止になっていました。みすゞさんファンが増えて、多くの方が来場されるようになったからでしょうね。
金子文英堂は、大津郡ではただ一つの書店でしたので、文具なども扱い、みすゞさんも店番など本に囲まれながらのお手伝いをしていたようです。
物静かで誰にでもわけへだてなく優しいお母様は、お父様亡きあと、三人のお子様を愛情豊かに育てられたそうです。
みすゞさんはきっとお母様の影響を受けているのだなと思わせるエピソードが書かれていました。
日頃からお母様はこんなことを言われていたそうです。
ひとつのことを見たら、多くのことを考えなさい。雲を見るでしょう。そうしたら、白い雲、綿のような雲、「ような」を取って、綿雲、スワン雲・・・というふうにね。
なんて、温かくて情感豊かなお母様なのでしょうね



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みすゞさんの育った家、ステキですね。
その建物、その勉強部屋をそのまま使って、
映画やテレビの撮影ができそうです。
机の前の記念撮影、今は禁止とのこと。
撮影可だったとき、chil-chilさん、しっかりそこで
写真を撮ったのですね、スゴイ!
いつか訪れてみたい街です。
でも、最初にかまぼこに食いつくんだろうなぁ、私。
かまぼこは、試食を沢山しました(笑)
伊万里のかまぼこが日本一美味しいと思ってる人なので買いませんでした。
仙崎の町も静かで良いですが、橋を渡って青海島に行くと、更に美しく穏やかな風景が広がります。
海辺に腰掛けて日がな一日のんびりしたいと思いました。